現伝の伝承系譜
新陰流疋田伝 現伝の伝承系譜
- 確認範囲
- 景用―景末―景根の表示順と表記
流儀内に伝わる順序として確認。個々の矢印を父子・家督・直接相伝・師弟関係とは認定しない。
人物記録
伝承、史料上の確認、研究・書誌を区別して更新する人物研究記録です。
A — 伝承
現在の新陰流疋田伝の伝承系譜では、上野左右馬助景用に続いて上野喜三右衛門景末を置き、その次に上野喜三右衛門景根を伝えます。これは流儀内に保存されてきた表示順であり、父子、家督、直接相伝、師弟関係のいずれかを単独で証明するものではありません。
本サイトは「上野喜三右衛門景末」を現伝の伝承系譜上の名称として主表示に用います。ただし、今回確認した掲載翻刻・研究図では「景末」の正確な史料形を直接確認できず、対応する位置に「景本」がみえます。主表示名は、この相違を解消したという意味ではありません。
A / E — 現伝の伝承系譜と当サイトの比較
上野喜三右衛門景末は、現在の新陰流疋田伝の伝承系譜で、上野左右馬助景用と上野喜三右衛門景根の間に置かれる人物です。本記事の主表示名は、この現在伝わる形を保存したものです。
伝承上の位置と、同じ文字列が歴史文書で確認されたことは別の問題です。本記事では、現伝の「景末」、掲載翻刻・研究図の「景本」、帰属未確定の「夢醒居士」を自動的に一人へ統合しません。
A / F — 伝承名と未確認事項
「景末」は、当サイトが保存する現伝系譜の人物名に含まれます。このため、現段階の主表示名は上野喜三右衛門景末とします。
一方、今回目視した『新陰流(疋田伝)の研究』の関連頁と掲載翻刻には、人物名としての「景末」を確認できませんでした。したがって、現伝名を史料上の確定名、歴史文書の原文、または景本の既知の異名とは説明しません。
C / D — 掲載・翻刻史料と近現代研究
『新陰流(疋田伝)の研究』11頁で、同研究が『肥後武道史』を参照して示す系譜図は、上野左右馬助(景用)に続く人物を上野喜三右衛門(景本)とし、その次に上野喜三右衛門(景根)を置きます。これは2007年の研究に掲載された研究上の再構成です。
これとは証拠層を分けて、同研究89頁に掲載された林家伝書の活字翻刻では、「藤原朝臣景用/上野左馬佐」に続いて「藤原朝臣景本/上野喜三右衛門」が並び、その後に「藤原景根/上野喜三右衛門」がみえます。研究図と掲載翻刻が、ともに景用と景根の間で景本を示すことは重要な対応ですが、原伝書の字形・列区分・翻刻判断はまだ独立に確認していません。
A / C / D / E — 伝承・翻刻・研究・比較
現在の伝承系譜では「景末」と伝える一方、今回確認した掲載翻刻・研究図では、対応する位置に「景本」の名がみえます。
現段階では、景末と景本が同一人物の異表記であるか、別名であるか、あるいは系譜上の別人物であるかは確認できていません。本サイトは、伝承系譜の名称を史料上の異名候補で自動的に置換せず、伝承と史料を並行して記録します。
C / E / F — 掲載翻刻・比較・未確認事項
同じ89頁の掲載翻刻には「夢醒居士」の名が、景本の名の組と景根の名の組の間にみえます。しかし、その配置だけでは、夢醒居士が景本・景末の号や別名であることも、別人物であることも確定できません。
上野家人物同定監査はこの対応を UNRESOLVED と判定しています。本記事は夢醒・夢醒居士を別名欄へ登録せず、「景末(号・夢醒)」や「景本、のち夢醒」とは記述しません。
A / B / C / E — 伝承・後代聞書・掲載翻刻・比較
現伝系譜が示すのは、上野左右馬助景用の直後に上野喜三右衛門景末があり、その次に上野喜三右衛門景根があるという順序です。これだけから、景末を景用の子・直弟子、景根の父、第二代当主とはしません。
掲載翻刻の伝承名列も、景用と景根の間に景本を置きます。また、『肥後細川藩―新陰之流伝書集』所収『上野景根先生講釈聞書』の既存採録は、上野喜三右衛門藤原朝臣景根を「上野左右馬佐より三代目」と位置づけます。これは後代写本が保存する世代認識ですが、直孫、第三代当主、第三伝のいずれかを決める完全な系図ではありません。
現伝の次項目は上野喜三右衛門景根です。確認した掲載・翻刻資料でも喜三右衛門と景根が対応しますが、この表記の一致だけで人物関係、世代、伝承経路を確定しません。
B / C / E — 後代資料・掲載翻刻・当サイトの確認
『新陰流(疋田伝)の研究』PDFの39頁は、OCRでは「藤原朝臣景末」と読まれましたが、掲載頁の目視確認では「藤原朝臣景兼」です。この箇所は景末の用例として採用できません。OCRは頁の探索に限り、人物名は画像で確認しています。
福岡市博物館所蔵とされる系譜資料で人が確認済みなのは、現在、愛洲移香から疋田栖雲斎までの初期四名です。上野家区間を確認していないため、同資料をperson-06の名称を証明する典拠には用いません。
現在利用できる『廻国記』作業転写は、景末・景本・景根・喜三右衛門・客三右衛門を記しません。慶長6年の疋田豊五郎の豊前帰着からperson-06の人物像や直接相伝を推定しません。
B / C / D — 後代伝書・掲載史料・研究
『肥後細川藩―新陰之流伝書集』は、由来の異なる複数の肥後新陰之流関係資料を集成・翻刻した近現代の資料集です。編者が句読点・送り仮名・補入・解釈の誤りの可能性を注意しているため、個々の原本・写本関係・筆者・年代を独立に確認済みとは扱いません。
『新陰流(疋田伝)の研究』では、11頁の研究系図と89頁の掲載翻刻を別の証拠層として参照します。11頁の図は同研究が『肥後武道史』を参照して示すものですが、『肥後武道史』自体の該当頁と典拠は本プロジェクトで直接確認していません。
研究図は景根の後に林・横田、和田、戸波・速水へ向かう分岐を示しますが、それを景末へ遡らせて、景末が各家を創始・教授した、藩の師役や特定の家職にあったとは記述しません。
F — 未確認事項
「景末」を直接記す原史料、景末と景本を同定または区別する資料、上野家系譜原本、林家伝書原画像、夢醒居士の帰属、喜三右衛門と客三右衛門の異同は未確認です。
『上野景根先生講釈聞書』全頁と大正4年書写奥書、『肥後武道史』該当頁、永青文庫『肥後藩先祖附』上野家記録、文化14年『天狗書秘伝の巻』、福岡市博物館資料の後半も直接確認を要します。
生没年、出生地、父母、子、景用・景根との親族関係、直接の師弟・相伝、代数、役職、知行、居所、従軍、墓所、藩の任命、分派創始は人物の確定情報へ登録していません。
調査状況
このページは、上野家人物同定監査を実装基準とし、A 現伝の伝承系譜、B 後代伝書・聞書、C 掲載・翻刻史料、D 近現代研究、E 当サイトの比較、F 未確認事項を分ける継続調査中の記事です。主表示名の景末と、資料別の景本・夢醒居士・景根を同一人物へ統合しません。
典拠
各項目は確認済みの範囲を明示しています。「確認済み」は資料本文全体の確認を意味しません。
現伝の伝承系譜
流儀内に伝わる順序として確認。個々の矢印を父子・家督・直接相伝・師弟関係とは認定しない。
編集調査ノート
本記事の実装を統制する内部監査。景末=景本、景末=夢醒、景末=景根をすべて未解決として保持する。
11・39・89頁を画像で確認・証拠層を分離
掲載された疋田関係資料と後代の伝承資料を確認。豊五郎の伝記については、1頁の天文4年頃・加賀生・父母・景兼の叙述と、10頁の三百五十石の叙述を画像で確認したが、該当頁には個別の一次史料注を確認できなかった。上野家人物同定では、11頁の『肥後武道史』参照系譜図、39頁のOCR誤読箇所、89頁の林家伝書活字翻刻を画像で確認し、研究図と掲載翻刻を分離した。原資料の来歴・筆者は独立に確認していない。年代・翻刻判断も未確認。
比較対象の関連部分を確認・資料層を分離
鈴鹿家文書、国際武道大学所蔵資料、細川侯蔵/細川候蔵と記された伝書類、後代の写本・転写など、複数の肥後新陰之流関係資料を集成・翻刻した資料集。上野系伝承、猿飛、参学/三学、位詰、八種の目着等の関連部分を確認した。編者は句読点・送り仮名・補入・解釈に誤りの可能性があると注意しており、本サイトも原資料の来歴・本文・自筆性を独立に確認したとは扱わない。
次の調査
これらの資料が現在の解釈を裏づけるとは限りません。本文と文脈を確認してから反映します。