歴史・第一章
第一章|陰流 — 現存する伝書から
東京国立博物館に残る陰流伝書を起点に、愛洲移香の史料上の表記、伝承、技法体系、そして新陰流へ続く系譜を、異なる史料層を分けながらたどります。
史料
現存する陰流伝書
東京国立博物館には、列品番号 QA-3997 として陰流に関わる巻物群が残る。管理情報では五巻が識別され、技法を描いた図、文章、伝授に関わる記載、伝承・系譜を示す図を含む。ここでは後世の通史からではなく、この現存資料から読み始める。
宮本・魚住の研究は「四巻」を調査対象として記述する一方、博物館の QA-3997 管理群には五巻が含まれる。両者の数え方を同一の分類とみなす根拠は、ここでは確認できていない。
- QA-3997/1『愛洲陰之流目録』
- 天正10年(1582)写
- QA-3997/2『[愛洲陰流秘伝書]』
- 天正4年(1576)写
- QA-3997/3『仕相之太刀』
- 天正4年(1576)
- QA-3997/4『目かくし』
- [室町]写
- QA-3997/5『新当りう奥三ッ太刀』
- 天文17年(1548)
一次史料画像
現存伝書の巻頭と巻末
以下の二点は、本文で扱う現存伝書の巻頭と巻末である。史料画像を先に示し、後の節で史料上の表記と解釈の限界を分けて読む。


史料上の表記
伝書に記された「移香」
天正10年(1582)写『愛洲陰之流目録』の系譜には、「愛洲太郎右衛門移香入道」と記され、その傍らには「源久忠」と読める記載がある。
後世に「愛洲移香斎久忠」と呼ばれる人物に対応すると考えられる記載である。ただし、この伝書に見える表記は「愛洲太郎右衛門移香入道」と「源久忠」であり、「愛洲移香斎久忠」という一続きの文字列が記されているわけではない。
伝承・研究・書誌
「愛洲移香」と「愛洲移香斎久忠」
後世の武道史・剣術史では、愛洲移香は陰流に関わる重要人物として位置づけられてきた。現代の刊行物では「愛洲移香斎」「愛洲移香斎久忠」などの名で紹介されることもあるが、これらは、現存する伝書に記された名とは分けて見ておきたい。
国立国会図書館の書誌では、中世古祥道『増補 愛洲移香斎久忠傳考』が「愛洲, 移香, 1452-1538」の件名標目のもとに整理されている。これは書誌・典拠情報であり、本文は未確認である。ただし、この生没年を示す一次史料は、現在のところ確認できていない。
秋田・平沢家関係の記録である『平沢家傳記』(内題『平澤氏家傳』)は、移香斎の末裔である平沢家九代通有が元禄9年(1696)に編纂したものとされる。そこには久忠の生年を享徳元年(1452)、没年を天文7年(1538)の87歳とし、法諡を移香とする伝記が収められている。ただし、平沢家に伝来した古文書類は後世、戦時中の空襲や満州からの引揚げ時の混乱などによって一部が散逸した経緯が伝えられており、記載された伝書の現存・本文は直接確認されていない。
本サイトでは、福岡市博物館所蔵資料で確認した「愛洲移香」を伝承系譜上の表示名として保ち、「移香」「移香斎」「久忠」の関係を典拠ごとに検討する。
史料と判読
初期の伝承図
同じ天正10年写の図には、摩利支尊天から複数の人物へ続く線が描かれる。ただし、それぞれの関係を血縁と示す記載は確認できず、伝承・系譜図として読む。同図では『愛洲右京』に続く一字が不鮮明で、傍らに『源朝信』と読める記載があり、さらに『湯原』へと線が伸びていた。
一方、天正4年(1576)の年記をもつ伝授史料では、摩利支尊天から『愛洲太郎左衛門移香入道源久忠』、『愛洲右京亮源朝信』を経て、『新原二次郎兵衛尉藤原雅景』、『湯原次郎兵衛尉雅景』へ至る伝系が記されている。これにより、従来判読保留とされていた『愛洲右京』の人物は『愛洲右京亮源朝信』としてより詳細な名が確認され、後続する人物も具体的に確かめられる。また久忠の通称も、天正10年本の『太郎右衛門』に対し『太郎左衛門』と記される。
ただし、この愛洲右京亮源朝信を、後世の系譜や平沢家伝承に見える愛洲小七郎宗通と同一人物とみなすことはできない。両者が同一人であるか、あるいはどのような血縁関係にあるかは史料上確認できず、異なる伝授史料ごとに異なる愛洲氏の名や伝系が伝えられているという歴史的課題として留保される。
- 摩利支尊天
- 愛洲太郎左衛門移香入道源久忠
- 愛洲右京亮源朝信
- 新原二次郎兵衛尉藤原雅景
- 湯原次郎兵衛尉雅景
後世の伝承系譜
後世の疋田伝系譜
新陰流疋田伝に伝わる系譜と、福岡市博物館所蔵『新陰流形組絵図』の確認済み伝系部分には、愛洲移香、愛洲小七郎、上泉武蔵守、疋田栖雲斎へ続く順序が示される。公刊研究に掲載された系譜では、同じ位置の第四名を「疋田豊五郎」と記す。二つの資料の表記は、それぞれの資料に従って分けて示す。
また、この後世の系譜を、摩利支尊天から愛洲太郎左衛門移香入道源久忠、愛洲右京亮源朝信、新原雅景、湯原雅景へと続く天正4年の伝承史料と一つの同一系譜に統合しない。愛洲右京亮源朝信と愛洲小七郎宗通との関係をはじめ、両者の人物同定は別の史料による検討を要する。
公刊資料に見える系譜表記
- 愛洲移香
- 愛洲小七郎
- 上泉武蔵守
- 疋田豊五郎
福岡市博物館所蔵資料の確認済み表記
- 愛洲移香
- 愛洲小七郎
- 上泉武蔵守
- 疋田栖雲斎
二つの資料の表記は、それぞれの資料に従って分けて示す。
史料図版
猿飛 — 原本に残る名称
現存資料の図中では、次の十一の名称を順に確認できる。ここでは、図に記された名称をそのまま掲げる。
第九項の最初の字は「陰」と確認できるため、『陰剣』と読む。宮本・魚住の論文が述べる九つの図と、現存資料で確認できる十一の名称が、どのように対応するのかはまだ分からない。
- 01猿飛Empi
- 02猿廻Enkai
- 03山陰Yamakage
- 04月影Tsukikage
- 05浮舟Ukifune
- 06浦波Uranami
- 07獅子奮迅
- 08山霞
- 09陰剣
- 10晴眼
- 11五月雨
史料間の比較
疋田伝との比較
現存する陰流伝書の冒頭六項目と、疋田伝に伝わる六項目は、名称と順序が一致する。
陰流側の列はその後も五項目続くが、この比較に用いる疋田伝の列は『浦波』で終わる。
- 猿飛猿飛
- 猿廻猿廻
- 山陰山陰
- 月影月影
- 浮舟浮舟
- 浦波浦波
- 獅子奮迅—
- 山霞—
- 陰剣—
- 晴眼—
- 五月雨—
研究上の指摘
『紀効新書』所載「影流之目録」
宮本・魚住は、第一巻に含まれる二つの文章と、『紀効新書』所載『影流之目録』の文章内容が一致することを指摘している。
これは文章の対応に関する研究上の指摘である。
平沢家伝承と伝書目録
『平沢家傳記』と「參學巻」・十二の技法名
秋田・平沢家に伝来した『平沢家傳記』(内題『平澤氏家傳』)は、九代通有が元禄9年(1696)に編纂したものとされる。同書に記された家蔵伝書の書目には、『目録十有七軸』として十七軸が挙げられ、その一つに独立した『參學巻』が記録されている。これにより、1696年の編纂時点で、平沢家所伝の文書目録中に「參學巻」と題する伝書が記されていたことが確認できる。
ただし、記録された『參學巻』の原本伝書そのものは直接の閲覧・確認が行われておらず、その所在は未確認である。したがって、その伝書に具体的にいかなる技法や教義が記されていたのかは、現存する証拠からは確認できない。
平沢家に伝来した古文書類については、後代における散逸や、戦時中の空襲や満州からの引揚げ時の混乱などによる一部の喪失が伝えられている。これが、目録に記された伝書を直接確認できない背景となっている。
一方、愛洲・平沢家の伝承に関わる史料には、陰流の技法名として「猿飛・猿回・山影・月影・浮船・浦波・覧行・松風・花車・長短・徹底・礒波」の十二名が記録されている。ここでは『山影』(山陰ではない)、『猿回』(猿廻ではない)、『浮船』(浮舟ではない)、『長短』(長短一味ではない)といった史料固有の表記が保たれている。
このうち「覧行・松風・花車・長短・徹底」の五本は、後世の新陰流疋田伝において「参学」として伝承される五本と比較すると、五本中、覧行・松風・花車・徹底の四本は同名で、長短のみ疋田伝では長短一味と記される。しかし、これは現時点では状況的な比較証拠にとどまる。
平沢家の記録は『參學巻』という題の巻物が存在したことを示し、愛洲・平沢伝承に関わる史料は別に「覧行・松風・花車・長短・徹底」の技法名を伝えている。そして疋田伝には「参学」として四本の同名と「長短一味」を含む五本が伝承される。しかし、この五本が平沢家の『參學巻』の内容を構成していたかどうかは、現存する史料から確定することはできない。
- 01猿飛Sarutobi
- 02猿回Enkai
- 03山影Yamakage
- 04月影Tsukikage
- 05浮船Ukifune
- 06浦波Uranami
- 07覧行Rankō
- 08松風Matsukaze
- 09花車Hanaguruma
- 10長短Chōtan
- 11徹底Tettei
- 12礒波Isonami
伝承と次章
愛洲小七郎・上泉武蔵守へ
疋田伝の伝承系譜には、愛洲移香、愛洲小七郎、上泉武蔵守、疋田豊五郎と続く順序が残る。陰流側の伝授史料と、後世の新陰流・疋田伝に残る系譜では、人物の表記や伝承の系統は必ずしも一致しない。
したがって、天正4年の史料に確認される「愛洲右京亮源朝信」を、後世系譜に見える「愛洲小七郎宗通」と同一人物とはしない。
結論
現存史料から上泉武蔵守へ
現存する陰流伝書から読み始めると、天正10年の目録には「愛洲太郎右衛門移香入道」と「源久忠」の記載、そして「猿飛」から始まる十一の名称が残されていた。天正4年の伝授史料からは「愛洲右京亮源朝信」へと続く伝系が確認され、さらに平沢家の元禄9年の記録には独立した「參學巻」の存在や、「覧行」「松風」などを含む十二の技法名が伝えられている。
一方、愛洲右京亮源朝信と後世系譜の愛洲小七郎宗通の関係、あるいは平沢家記録の「參學巻」と疋田伝「参学」五本との具体的な関係は、現存史料から軽々に確定することはできない。
陰流の史料的痕跡をたどると、異なる伝書層を保持したまま、上泉武蔵守へ続く問いが現れる。次章では、その上泉武蔵守を同時代史料の中から追う。
典拠
史料と研究
一次史料
- 『愛洲陰之流目録』 — 天正10年(1582)写
- 『[愛洲陰流秘伝書]』 — 天正4年(1576)写
- 『仕相之太刀』 — 天正4年(1576)
- 『目かくし』 — [室町]写
- 『新当りう奥三ッ太刀』 — 天文17年(1548)
研究
『愛洲陰之流目録』(東京国立博物館蔵)の調査報告―新陰流との関係及び『紀效新書』所載の「影流之目録」についての新知見― — 宮本光輝・魚住孝至
本文中の論文に由来する指摘は、宮本・魚住の研究として明示した。
新陰流(疋田伝)の研究 — 赤羽根龍夫・赤羽根大介 · 『基礎科学論集』第25巻、1–118頁、DOI 10.18924/00000388
関連史料
- 『紀効新書』「影流之目録」 — 文章内容の比較対象
- 新陰流形組絵図 — 既存の登録資料
調査状況
現在の確認範囲と今後の調査
確認済みの範囲は、東京国立博物館の現存資料と公開目録、天正4年の伝授史料の記載、福岡市博物館所蔵資料の公開中の伝系部分、中世古祥道の著作に関する国立国会図書館の書誌情報、および平沢家関係資料(『平沢家傳記』等)に関する報告・公刊調査記録である。確認の深さは資料ごとに異なり、以下に区別して示す。
本文未確認の資料から伝記的事実を補わず、愛洲移香の生涯、愛洲右京亮源朝信と愛洲小七郎宗通の関係、記録された『參學巻』の本文内容、上泉武蔵守への具体的な伝授は未確定事項として残す。新たな史料を確認したときは、一次史料、後世の伝承、書誌情報、現代研究、解釈を分けて更新する。
確認済み
「確認済み」は、各カードに記した範囲の確認を意味し、資料本文全体の確認を意味しない。
登録資料・確認済み翻刻
新陰流形組絵図
- 確認範囲
- 「愛洲移香」の表記と四名の順序
公開中の伝系部分に基づく確認であり、巻子全体の人物関係を確定するものではない。
公開目録情報を確認・詳細本文未確認
愛洲陰流伝書・新当流奥三ッ太刀
- 機関
- 東京国立博物館
- 目録上の年代
- 室町時代・16世紀写
公開目録上の名称・所蔵館・時代・写本年代を確認。資料の詳細内容は未確認。
書誌情報を確認・本文未確認
増補 愛洲移香斎久忠傳考
- 著者
- 中世古祥道
- 機関
- 国立国会図書館
- 件名標目
- 愛洲, 移香, 1452-1538
書誌情報と件名標目を確認。本文は未確認で、件名標目の生没年を確定年として扱わない。
存在・所在等を確認・本文未確認
平澤家伝記
- 著者
- 平沢通有
- 目録上の年代
- 元禄9年(1696)撰
平沢家九代通有が元禄9年(1696)に編纂した伝記。「目録十有七軸」中に『參學巻』を記録する。後世における伝来文書の散逸が伝えられ、記録された伝書の現存・本文は直接確認されていない。
存在・所在等を確認・本文未確認
平沢氏家伝
- 著者
- 平沢通有
- 目録上の年代
- 元禄9年(1696)撰
『平澤家傳記』の内題・別称。久忠・宗通をはじめとする平沢家歴代の事績および伝授文書目録を伝える。
未確定事項
各名称の関係、愛洲移香の生涯、愛洲右京亮源朝信と愛洲小七郎宗通の関係、二つの系譜層をまたぐ人物同定、記録された『參學巻』の内容、親族・師弟・直接相伝の具体像は未確定のままである。
本文未確認・今後確認する史料
- 平澤家伝記本文
- 平沢氏家伝本文
- 中世古祥道『増補 愛洲移香斎久忠傳考』本文
- 東京国立博物館所蔵『愛洲陰流伝書・新当流奥三ッ太刀』詳細内容
- 愛洲移香・愛洲小七郎・上泉武蔵守の関係を示す他の一次・近世史料所在・本文・関係記述